アーチンの小麦粉文庫

アーチンのブログです。適当に書きます。

少しずつ見えてきたしんどさの正体

 

こんばんは。アーチンです。

なかなか、調子の悪い日でした。

実家に行ってまして、

いつも帰り道がしんどいのです。

 

両親がとても、なんていうんでしょうか、

しんどそうなんです。

それは、投影という見方で言えば、

私がしんどいんだなというふうに解釈します。

 

しんどいのは私なんだと思います。

両親共に、やや鬱気味ということもあって、

帰り道にいつも、

『ああ、今日も私は何もできなかったな。』

という気持ちが湧いてくるのでした。

両親は、娘が久々に帰ってきて喜んでいるもしれないのですが、私からはそう見えて、こんな思いが湧いてきてしまうのです。

 

 

両親と私。

両親は、私が幼い頃から別々の信仰をしていました。

私は生まれた時から、宗教観において『ハーフ』ということです。

今でこそ、両親は両親、私は私という考えを持ってOKという考え方に出会えましたが、

幼い頃の私には、父と母のどちらかしか選べない、第3の道は許されない酷な環境だったと思います。

 

父の信仰を選べば母を不幸にする。

母の信仰を選べば父を不幸にする。

 

それでも両方を幸せにする道があるはずだと、真剣に全力で取り組みました。

 

父の実家に行く時は、嫁である母よりも気が効く子どもとして振る舞い、S家の長男の孫として、立派な子どもになろうと必死でした。

 

母の前では、母の信仰を誰よりも理解し、真剣に祈り、活動に励み、地域をまとめるリーダーも務めました。母にとっては自慢の娘だったと思います。

 

でも、私のがんばりは、そう上手くはいきませんでした。宗教観の違いによる戦いによって、父が家を出てしまったり、母が過呼吸で何度も救急車で運ばれたり…。

 

数々の挫折を積み重ねた結果、『私は、両親を幸せにできない子ども』という思いが心に定着しました。その思いは今も根強く存在します。

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誰か、両親を幸せにしてもらえませんか?

私なんかどうでもいいんです。

誰か。誰か。どうかお願いします。

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と、幼い頃から心の中で唱え続けてきたために、この思いはしぶとく君臨するようになりました。

 

 

心理学を学びはじめて、この、よくわからないしんどさの背景が少しわかってきました。

こうして、文章にできるくらいに、客観的に自分のしんどさを捉えることができるようになってきたことも、すごい前進だなと感じています。

 

未だに両親に対しては、はじめに書いたように、無力な自分が嫌になって落ち込むことがしばしばですが、少しずつ取り組んでいきたいと思います。

 

こうして、しんどさの理由を自分で発見できたのだから、きっと大丈夫だと思います。

 

まだまだ、誰かのためにブログを書くことはできませんが、幼い頃の私に向けて、書きます。

 

よくがんばった。

アーチンはすごいんだぞ。

そのままで、大丈夫だぞ。