アーチンの小麦粉文庫

アーチンのブログです。適当に書きます。

【心理学の話】カウンセラーへの第一歩。

 

こんにちは。アーチンです。

昨日は、心理学を共に学んでいるお弟子さん仲間と、師匠である根本先生と、事務局をしてくださっているKさんとの「お話し会」でした。

とっても楽しかったー!

 

私は、ずっとお弟子さん仲間のみんなに聞いてみたかったことを質問してみました。

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カウンセラーになりたいと思ったきっかけはなんですか?

または、心理学を学ぼうと思ったきっかけはなんですか?

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短時間であったのにもかかわらず、みんなが心の内をたくさんお話ししてくださり、私は胸を打たれました。

お聞きできて本当に嬉しかったです。

本当にありがとうございました!!!

この質問、

すごく個人的に聞いてみたかったのです。

なぜなら、私が今、とても悩んでいることだったから。

 

カ ウ ン セ ラ ー に な り た い け ど 、

な り た い っ て 言 う の が 怖 い 。

そ も そ も な り た い の ?

 

みんなのお話を聞いて、

 

笑ったり、

じーんと来たり、

グサッと刺さったり、

ほんわかしたり、

なるほど!と思ったり、

 

めちゃくちゃ聞いてよかった。

感動しました。

何度も言いますよ。

みんな、ありがとう!!!

 

(お話し会ってもっとフランクな感じかなと思って初参戦した自分でしたが、コアな質問を、初っ端からいきなり投げてしまったことと、楽しくラフに会話を回すことができず、面接官みたいになってしまったことを反省しています。もっと、踊るさんま御殿みたいにしてみたかったけど、できなかった…。さんまさんってすごいや。)

 

 

この質問に、私も答えてみます。

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カウンセラーになりたいと思ったきっかけはなんですか?

または、心理学を学ぼうと思ったきっかけはなんですか?

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小さい頃から信仰が身近にありました。

祈ることが毎日の習慣でした。

悩んだ時、悲しい時、苦しい時はまず祈る。

嬉しい時、幸せな時も感謝の祈りを。

同じ信仰を持つ人のコミュニティで、

自分の悩みを話し、聞いてもらう。

そして、励まし合う。

それが日常でした。

『心を磨く、心を強く持つ、

心をキレイに保つ、

悪も罪も受け入れる、

どんな人にも美しい心がある』

寝ても覚めても

心を見続け、心と向き合う日々。

 

しかし、それは純粋な信仰ではなく、

訳ありな信仰心でした。

 

どんな信仰も、

人にとってなくてはならない、

人生の羅針盤のようなもの。

信仰があることで、

人は強くなれると思います。

 

でも、私は幼すぎたためか、

父と母が別々の宗教を信じていたためか、

私にとって信仰は人生の羅針盤ではなく、

「バラバラな家族をつなぎ止める手段」

でした。

それでも、心を見つめる日々は続きます。

 

尊い信仰】と【家族をつなげるための手段】

 

【周りの人を幸せにしようという美しい教え】と【自分のエゴ】

 

【父の信仰】と【母の信仰】

 

いつも心の中に矛盾が横たわっており、

月と太陽が、西と東が、左と右が、

相反する存在が、

いつも自分の中に共存していて、

どちらにもつくことができない自分を許せず、

混乱を通り越し、具合が悪くなり、

いつの間にか何も感じないようにして

生きていたのではないかと思います。

 

相反する対立のそばに茫然とたたずむ私。

何もできず、

ただ見ているだけの無力な自分。

 

これは、息苦しいはずだ。

 

このことに気がついたのは、

ずいぶん大人になってからのことでした。

 

こんなに真剣に信仰に励むことができたのは、

心底、両親を愛していたからなんだと。

信仰に励んでも、

家族がバラバラのままだったのも、

信仰に励んでも、

私はまだ生きにくいままなのも、

私が無力だから、ではないんだと。

 

私 は 私 の 人 生 を 、

自 分 で 選 ん で い い 。

 

このことに気がつくことができたのが、

心理学でした。

心理学を学ぶきっかけは、

苦しい恋愛でしたが、

 

「心理学をもっと学び続けよう」

「カウンセラーの道を模索しよう」

 

と思ったのは、

この、「自分で選んでいい」という

考え方と出会ったからでした。

えー!自分で選んでいいのーーー???

と、びっくりした記憶があります。

めちゃくちゃ当たり前のことなのに、

めちゃくちゃ新鮮で鮮烈でした。

 

もしかしたら、私のように。

得体の知らない生きにくさを抱えている人がいるなら、

「自分で選んでいい」ということをまだ知らない人がいるなら、

私に、何か、できることがあるかもしれない。

と、思ったのでした。

 

とは言え、

心理学の考え方も信仰と同じことなのでは?

と、勝手に近しい気配を感じ取ってしまい、

誰かにすすめることや誰かに言うこと、

誰かに教えることへの抵抗が出てきます。

まだまだ、幼い頃の苦しさと混乱を

整理できていないんだなと思う日々です。

 

ひとつ言えることは、

私にとって心の世界は慣れ親しんだホーム

だということです。

 

そのホームで生きてきた中で得たものを、

カウンセラーという役割に

昇華することはできないだろうか?

 

【生きにくいままで、楽しく生きる。】

それを模索するあなたの旅に、

いつか、

私も一緒に同行させてもらえないだろうか。

私も旅の途中だけど、

時にアテンドさせてもらえないだろうか。

カウンセラーという役割で。

 

 

そんなふうに思った5月3日でした。

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

最近の外食ではインドカレーがブームのアーチンでした。

それでは、また!