こんばんは。大事なモノはいつだって奥に隠してしまうアーチンです。
子どものころ、もらったお菓子を引き出しの奥に隠し、隠したことを忘れ、放置し、腐った状態で発見し、泣く、を繰り返していました。忘れちゃうあたり、ただのおバカさんというだけな気がします。
今日は3月だというのに、あられがすごくて、写真を撮ったら歌川広重の雨の表現のようになりました。浮世絵恐るべし。
あの頃の大事なモノ。
お菓子。
シール。
ビー玉。
道路に落書きできる白い石。
着せ替え人形。
よく奥のほうに隠して、後で見つけられなくなることが多発していました。振り返ってみると、なんと今も同じでした。さすがに物を見つけられなくなることはありませんが、その代わりに、
肝心な感じている感情。
言いたい言葉。
思い描く夢。
そして、
大切な人への想い。
このような類のモノは、とてつもなく奥へと隠してしまう習性がまだ残っています。ごちゃごちゃカオスの押入れから取り出して、ひとつひとつ陽にあてなくては。と、そうしてはじめに取り出してみたのは、「会えなくて寂しかった」と「会えて嬉しかった」のふた言。
声に出して言えばよかったのだけど、そこまではできませんでした。でも、腐る前に、見つけられなくなる前に、取り出すことはできました。素晴らしい。今度は言えたらいいのですけどね。
こうして書くとわかることがありました。結果的には傷つけてしまうことになるのですが、私にとって、本音を言わない、言えない、または隠して嘘をついてしまうのは、その人が大事すぎて奥のほうに隠してしまう。ということに。
これが私の、目の前の大切な人を大切にする損だらけの方法なのだな。
言い訳がましいようにしか書けない。もう少し何か書き方がある気がするので、宿題にさせてください。←誰に断りを入れているのか。