金魚すくい、全くできない子でした。おそらく今も苦手だと思います。
心の勉強は始まったばかりで無理もないと思いますが、まだ何も掴めていません。難しい。ふと、この感覚は何かに似ていると思ったら、私にとっての金魚すくいでした。捕まえようと思っても、捕まえられない。いろんな動きをいろんなところでいろんな金魚が同時にするので、こちらの目が回ってしまい、ぼーっとなってしまいます。
今、課題でケーススタディというものに取り組んでいるのですが、文字が生きている金魚みたいに見えてきて、視点・感情・思考があっちこっちに行ってしまい、目が回ります。
この単語からはこんな解釈ができる、あの言葉にはこんな意味がある、いや待てよ、知識がないのだから心で感じるんだ、、でも感じろって言ったって、私だってこの相談者さんのように出口が見えてないよ、、なんか知らないけど怖い、、うーん、、、と天を仰ぐ私です。金魚をすくうあの紙製のヤツという名の脳みそが、破けてしまいそうです。
そもそも人の心を学んでどうするつもりだ。
学んでどうするのだ、自分よ。え?何か言ってみろ。
学び始める動機を書いたり宣言したのは、つい最近だというのに、すでに挫けそうです。文字でこんなになってるなら、実際に対面で生きてる人を目の前にしたら、恐ろしすぎて私が失神するのではないかな。カウンセラーの方って本当にすごいと思います。
学んだばかりの心理学的解釈を用いてみるとするならば、怖いと感じているということは、思いの外、私は心理学に本気だということなのかもしれない。