こんばんは。アーチンです。
自分で名付けたのに、この名前と屋号にまだ馴染めておりません。でも、おろしたての靴や初めて住む町やバッサリ切った髪なんかも、みんな「はじめ」はこんな感じよなあ…と思い直して、ムツゴロウさんが動物たちをわしゃわしゃわしゃわしゃとするように、私もこの名前たちをわしゃわしゃしている今日この頃です。
さて、①②と綴って参りました役者の頃のお話シリーズも、今日で一度まとめに入ります。
今回書いてみて、あの頃のことを表現するのはなかなか難しいなあと思いました。きっと、まだ消化できていない感情があるのでしょうな。ですので、いつかまた同じような話をすると思われますが、その時もよかったらお付き合いいただけたら幸いです。
演じるという現実逃避は、私にとって必要であったと思う。
大勢の前で話すことも、教室で手を挙げて発表することも苦手な子どもだったのに、演技やお芝居となると俄然やりたがった。学芸会で初めてお芝居というものを経験した時、とても安心したのを覚えている。私の足の裏ってこんなに大きいんだな。この足に全体重が乗っているんだな。たくましいな。ずっとここに居たいな。そうやって魅了され、15歳で舞台を踏み、そこから10年間舞台に立った。
芝居の稽古の時、演出の先生が「よーい、スタート!」と声を発する。その声を聞いた瞬間、呼吸が楽になり、息が深く吸えた。体が自由に動き、視界が広くなり、景色がくっきりと見えてくる。今となっては考えられないことだが、演技中の方が緊張しなかった。「はい、カット!」の後の長い長い現実の方が緊張していた。舞台空間=安全な世界。ということだったのだろうと思う。
他の誰かを演じること。
他の誰かになること。
他の誰かを生きること。
現実の自分とそうじゃない自分を行ったり来たり繰り返しては、なんだろう、栄養のようなものを摂取していたような感覚だった。例えば怪我をした時、治るまでじっとしている。傍から見たら動いていないように見えても、細胞は治癒を目指して懸命に動き、そうして体は徐々に確実に治っていっていく。心を怪我していたつもりはなかった。当時はただ好きだからやっている、と思っていた。でも、なぜあんなに演じることに没頭していたのだろうと考えた時、ひとつの仮説が浮かんできた。
『私は心を怪我していた。』
きっと、演じることで得た栄養は、怪我していたかもしれない心の治癒のために使われ、ゆっくりとそのプロセスをたどっていった。じゃあ、私の心の怪我って何だったんだろう?大人になって、恋とか仕事とかナントナク上手くいかなくて、上手くいっていたように見えても、なんだかいつもビクビクしていた。30代半ばで好きになった人との恋愛でかなりダメージを受け、それをきっかけに心理学に出会った。ちょっとずつ学び進めていった時、ある予感がした。
『心の怪我は、子どもの頃に負ったものかもしれないな。』
その予感を自分の手で紐解いてみたくなったというのが、心理学を学び始めた理由の一つだったりする。子どもの頃については、また今度『家族』の振り返りの時間にでも、一緒に書いてみようと思う。そのタイミングは、これからの学びの中でおのずと訪れると思っている。
---------------------------------------------------------------------------------------------
『舞台さま』
手紙を書いてみたよ。おかしいでしょ?いつもあなたに会いに行くのが楽しみだった。そこに居られるだけでよかった。たくさん愛されなくてもいい、ちょっとだけでも触れさせてくれ、そう思っていた。ドキドキしたし、ワクワクもした。怒ったり、泣いたりもいっぱいした。落胆と歓喜で具合が悪くなった。でも、いつかどこかで終わる気がしていたよ。こんなこと、ずっとは続かない。続けちゃいけない。できればさ、どうしたら諦められるのか教えてほしいと願っていた。これじゃあ、道ならぬ恋みたいだ。ありがとうと言って終わるのがキレイだけど、まだ言えそうにない。
いつか言えるようになりたいと思っているので、それまで元気でいて下さい。