アーチンの小麦粉文庫

アーチンのブログです。適当に書きます。

道ならぬ恋。その人の名は『舞台』①

 

先日、共に心理学を学ぶお仲間さんより、役者をしていた頃のお話をとリクエストいただいた。さりげないリクエストだったのだと思うけれども、すっかり嬉しくなってしまった私はしっかりと真に受け、スキップをするがごとく書き出すことにした。

話は少し飛ぶけれど、私というのはリクエストをいただくと嬉しさで舞い上がる生き物なのだなぁと発見があった。Sさん、心からありがとうございます。

 

 

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役者をしていたと言っても、部活動をきっかけに学生時代から始めて学校を卒業してからも続けていたアマチュアの活動だった。もちろんお金にはならない(むしろ、お金がかかる)。15歳から25歳くらいまでの約10年間。文字通り没頭した。ありゃ最高の癒し薬だったけれども、私には麻薬でもあったと今思う。舞台に立つのを辞めてからもう15年くらい経つのに、後遺症のようなものがまだ体の中に残っているので、そう思う。

 

役者に没頭した理由はおそらく2つ。

1,舞台の世界がとても好きだった。

2,現実逃避(その時代を生き延びるための術)。

 

舞台の世界、舞台にまつわる空間がとても好きだった。なにも劇場の舞台じゃなくてもいい。稽古場も着替える部屋も楽屋も客席もロビーも、なんならトイレだってスペシャルに感じていた。よだれが出るよ。舞台は稽古の時間が長くて本番は一瞬。たった1~2時間の本番のためにたくさんのエネルギーを注ぐ。あっけなく終わる。でも、私には本番も稽古の時間も気持ちの面ではあまり差がなかったように思う。

 

何故にそこまで没頭したか考えてみたところ、稽古であろうと本番であろうと、登場人物が生きて動いて会話して、彼らの関係性が変化していく時間自体が好きだったから。そんな気がする。

 

『物語のはじまり。とある少女には大切な友だちがいた。ある日突然その友だちがいなくなってしまう。少女は混乱しながらもその子を探す旅に出る。道中、年も性別も生きる世界も全く違う人たちと出会い、影響を受け合いながら、やがて友だちとも再会するのだった。お互いに変わり果てた姿であったけれども、再会は至福の時をもたらした。』

 

例えばこういう物語があったとする。演じるのは、少女でもその友だちでも旅の途中に出会う人、どの人でもいい、とにかく物語に属せていれば私は満足だった。

 

何が快感であったかというと、人と人との関係性の変化を体感できること。

 

物語というのは、どこの場面を切り取っても、登場人物の感情に一瞬たりとも同じ表情はない。その場面で行なわれる会話、起きる出来事、流れる音楽、包む光。何度も同じ場面を稽古したって、全く同じに再現されることはない。本番を見て下さるお客様が変わるだけでも芝居が変わると言われている。だから、演じる役者が変わればもっと変化が起きるということになる。

 

その違いが毎回毎回おもしろくて、刺激的で、苦しいほど愛おしくて。それがいつまでも体に残る快感物質の正体なのだと思う。

 

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わー。舞台のことになるとやはり長くなりました。また今度、続きを書きます。こんなふうに私のアウトプットにお付き合いいただいて、嬉しい限りです。最後までお読みいただき、ありがとうございました。ではでは、また!